日本名人 | 小栗忠順 |
释义 |
小栗忠順听听怎么读
おぐりただまさ
是什么意思 中文简介小栗忠顺(1827-1868),担任过德川幕府的外国奉行、勘定奉行(财政部长)、步兵奉行(国防部长)。1860年,小栗忠顺趁赴美签订《日美友好通商条约》之际,搭乘舰艇遍访各国,成为第一个环游世界的日本人。他还四次担任勘定奉行,是公认的"经济通"。同时,小栗不顾幕府阁僚的强烈反对,力主建造了日本第一家造船厂--横须贺造船厂、横须贺制铁厂等现代工厂。他还从欧美购进44艘新式军舰建立近代海军,并训练西式陆军,为日本军事近代化奠定了坚实基础。日本著名历史小说作家司马辽太郎在《叫做"明治"的国家》一书中更是亲切地把小栗忠顺称为"明治之父"。1868年5月25日,明治新政府逮捕了小栗忠顺。第二天被斩首。
日文简介文政10年生まれ。小栗忠高の子。幕臣。万延元年日米修好通商条約批准書交換の使節監察として渡米。外国,勘定,軍艦などの各奉行をつとめ財政改革,軍制改革をおこなう。大政奉還に反対し,戊辰(ぼしん)戦争では将軍徳川慶喜に徹底抗戦をすすめた。慶応4年閏(うるう)4月6日知行地の上野(こうずけ)群馬郡で新政府軍に捕らえられ処刑された。42歳。通称は剛太郎,又一,上野介。 【格言など】一言で国を滅す言葉がある(幕臣たちの「どうにかなる」という優柔不断さを批判) |
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