日本名人 | 貝原益軒 |
释义 |
貝原益軒听听怎么读
かいばら えきけん
是什么意思 中文简介日本哲学家、游记作家和植物学家的先驱。早年学医,1657年他弃医而研究朱熹的新儒学着作。他写了近百种哲学作品,强调社会的等级本性,并把孔子的学说翻译成日本各阶层的人都能理解的语言。他写的小册子《女大学》讲的是三从四德,在很长时间内都被看作是日本妇女最重要的伦理教科书。被尊为日本植物学之父。
日文简介寛永7年11月14日生まれ。貝原寛斎の5男。筑前(ちくぜん)福岡藩主黒田光之につかえ,京都に遊学。寛文4年帰藩。陽明学から朱子学に転じるが,晩年には朱子学への疑問をまとめた「大疑録」もあらわす。教育,医学,本草などにも業績をのこした。正徳(しょうとく)4年8月27日死去。85歳。名は篤信。字(あざな)は子誠。通称は久兵衛。別号に損軒。著作はほかに「大和本草」「養生訓」「和俗童子訓」など。 【格言など】心を平(たいらか)にして気を和(なごやか)にする。これ身を養い徳を養う工夫なり(「養生訓」) |
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