日本名人 | 海北友松 |
释义 |
海北友松听听怎么读
かいほう
是什么意思 中文简介日本画家,海北派创始者。生于近江(今滋贺县)坂田郡,1615年6月2日卒。海北之父为一武将,服务于浅井家。浅井家在与织田信长角逐中败亡,故海北幼时一度入东福寺做小僧。还俗之后,他一面再兴武术,一面学习绘画。到50岁之后,才以画笔进行真正的创作生活。
日文简介天文(てんぶん)2年生まれ。海北綱親の子。京都東福寺で出家したが,主家浅井家滅亡ののち,41歳で還俗(げんぞく)。武門海北家の再興をはかるがはたせず,狩野元信(一説には狩野永徳)に師事,画家の道をあゆむ。南宋(なんそう)(中国)の画家梁楷(りょう-かい)らの影響をうけ,おおくの障屏画を制作。慶長20年6月2日死去。83歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。名は紹益。作品に「飲中八仙図屏風(びょうぶ)」「山水図屏風」など。 |
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