日本名人 | 川路聖謨 |
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川路聖謨听听怎么读
かわじ
是什么意思 中文简介川路圣谟(1801年-1868年),号敬斋。江户末期的幕臣、武士(旗本)。代官所的官吏内藤吉兵卫之子。生于享和元年4月25日(1801年6月6日),卒于庆应4年3月15日(1868年4月7日)。丰后人。是直参川路家的养子。初任勘定吟味役,后历任佐渡奉行、奈良奉行和大阪町奉行等职。1852年(嘉永5年)任勘定奉行兼海防挂。1853年与来长崎的俄国使节谈判,1854年(安政元年)签订《日俄亲善条约》。1858年随堀田正睦进京活动,以使《日美友好通商条约》获得天皇同意。被视为一桥派,井伊直弼任大老后降职。1863年(
日文简介享和元年4月25日生まれ。幕臣。勘定奉行兼海防掛となり,安政元年伊豆(いず)下田で日露和親条約に調印。5年日米修好通商条約締結の勅許をもとめる老中堀田正睦(まさよし)の京都行きに随行。将軍継嗣問題で一橋派に属して失脚したが,のち外国奉行となった。慶応4年3月15日ピストル自殺。68歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。本姓は内藤。通称は三左衛門。号は敬斎,頑民斎。 【格言など】小心でなくては大事はできない(「寧府紀事」) |
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