日本名人 | 吉川元春 |
释义 |
吉川元春听听怎么读
きっかわ もとはる
是什么意思 中文简介吉川元春(享禄3年(1530年)-天正14年11月15日(1586年12月25日)),战国第一智将毛利元就的次子,生性刚肃,勇武过人,外号"鬼吉川"更是令人闻风丧胆。天文16年(1547年)7月,元就为了增强本国的势力,将元春过继给母亲的娘家---山阴名门吉川家,作了家督吉川兴经的养子。从此改姓吉川。之后元春担任毛利家进攻山阴地方的主将,他参加的战役无一败绩,成为毛利家的头号猛将,而且与尼子家争战之际于军中手录四十卷《太平记》,让人知道他对于历史、文艺也很有研究,是一名文武全才的武将。本能寺之变后主张追击羽柴秀吉,被其弟、亲秀吉的小早川隆景阻止。因不屑仕奉秀吉而退隐,后在九州征伐前夕去世。
日文简介享禄(きょうろく)3年生まれ。毛利元就(もとなり)の次男。吉川興経(おきつね)の養子となり天文(てんぶん)19年安芸(あき)(広島県)日野山城主。尼子氏を討つなど山陰で勢力を拡大,山陽で活躍した弟小早川隆景(こばやかわ-たかかげ)とともに毛利の両川(りょうせん)といわれ,毛利氏の中国地方制覇につくす。天正(てんしょう)14年11月15日九州攻めの際,豊前(ぶぜん)小倉城(福岡県)内で病死。57歳。 【格言など】智少なく勇のみある者は,単騎の役にして大将の器にあらず |
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