日本名人 | 吉良義央 |
释义 |
吉良義央听听怎么读
きら よしなか
是什么意思 中文简介吉良氏早在室町时代便是身份显赫的名门,更有"下马众"之称,即其他大名在路上遇见他们时,必须得下马以示尊敬,其地位相当于江户时代的御三家。不过随着室町幕府的灭亡,吉良家也走向了衰落,后来吉良上野介的曾祖父吉良义定出仕德川家康,也仅得到了区区二百石知行。义定之子义弥以关原之战的战功获封三河吉良庄三千二百石,地位上升为旗本,庆长十年(1605)德川秀忠继任为幕府将军时,义弥正式以高家的身份参与了诸多礼仪仪式,并叙任从四位下左近卫权少将。
日文简介寛永18年9月2日生まれ。吉良義冬の子。高家(こうけ)。寛文8年家督をつぐ。元禄(げんろく)14年江戸城中で勅使接待の折,赤穂(あこう)藩主浅野長矩(ながのり)にきりつけられて負傷し,隠居する。元禄15年12月15日浅野の旧臣大石良雄らにおそわれ斬殺された。62歳。知行地三河(愛知県)吉良荘では善政を評価されている。通称は上野介(こうずけのすけ)。名は「よしひさ」ともよむ。 |
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