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日本名人 鮭延秀綱
释义

鮭延秀綱

听听怎么读
さけのぶ ひでつな
是什么意思

中文简介

鲑延秀纲(1562-1646) ,佐佐木贞纲次男。鲑延氏近江源氏佐佐木氏的一族,尊宇多天皇之子敦实亲王为远祖。在二十代当主纲村时开始侍奉出羽仙北小野寺氏,于最上川畔岩花一带构筑居城担当小野寺氏南进的先锋。在秀纲之父贞纲身任家督时于永禄六年配合上杉谦信溯最上川攻打与上杉家叛将本庄繁长联合的庄内武藤氏。入侵庄内的贞纲被武藤氏当主义增杀得大败不得已退入真室内町改鲑川左近的鲑延城为居城,并改地名鲑延为姓氏。在鲑延贞纲败于武藤义增手中后为乞和,于是将次子秀纲当作人质送入武藤家。

日文简介

1562-1646 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)5年生まれ。佐々木貞綱の子。出羽(でわ)鮭延城(山形県)城主。天正(てんしょう)9年から最上義光(もがみ-よしあき)に属し,関ケ原の戦いでは上杉方の小野寺氏を攻めた。元和(げんな)8年最上家改易(かいえき)により,下総(しもうさ)佐倉藩(千葉県)藩主土井利勝の家臣となった。正保(しょうほ)3年6月21日死去。85歳。生年は一説に永禄6年。別名に愛綱。通称は典膳。
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