日本名人 | 吉益東洞 |
释义 |
吉益東洞听听怎么读
よします とうどう
是什么意思 中文简介吉益东洞(1702-1773),名为则,字公言,通称周助。生于安艺广岛的吉益东洞,本姓畠山。以身为足利家"管领"而闻名的畠山政长乃其先祖。政长的弟弟名义就,世代以金疮、产科为业。其四代孙义益改用自己的名为姓,其子又将义字改为吉;并整理家传之方着成《换骨抄》,此即吉益姓氏以及所谓"吉益流金疮产科"的由来。而东洞的爷爷、与《换骨抄》作者吉益助秀同辈的畠山政光后来也因仕途险恶而以医为业。
日文简介元禄(げんろく)15年5月生まれ。吉益南涯(なんがい)の父。はじめ吉益流金瘡(きんそう)産科をまなんだが,独学して独自の万病一毒説にもとづく古医方をとなえる。元文3年京都で開業,山脇(やまわき)東洋にみとめられ世に知られた。安永2年9月25日死去。72歳。安芸(あき)(広島県)出身。本姓は畠山。名は為則。字(あざな)は公言。通称は周助。別号に東庵。著作に「類聚方」「薬徴」など。 |
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