日本名人 | 米内光政 |
释义 |
米内光政听听怎么读
よない みつまさ
是什么意思 中文简介米内光政(よない みつまさ),1880年3月2日-1948年4月20日),日本海军大将,政治家。日俄战争中曾参加对马海战。历任舰队参谋长、第3、第2舰队司令长官、佐世保及横须贺镇守府司令等职。1936年任日本联合舰队司令兼第1舰队司令。1937年4月晋大将。同年2月至1939年8月任海军大臣。绰号金鱼大臣。出兵上海和海南岛的关键人物。1940年1月任日本第37届首相,与山本五十六和井上成美组成稳定铁三角,反对与德意结军事同盟,被陆军视为亲英美派,同年7月被迫辞职。1944年7月复任海军大臣,反对本土决战,主张接受《波茨坦公告》。日本投降后参与解散海军的工作。
日文简介明治13年3月2日生まれ。昭和11年連合艦隊司令長官。12年から林,第1次近衛(このえ),平沼各内閣の海相となり,陸軍がすすめる日独伊三国同盟に終始反対した。15年組閣したが,陸軍の不支持で6ヵ月で総辞職。19年から小磯(こいそ),鈴木,東久邇(ひがしくに),幣原(しではら)各内閣の海相をつとめ,戦争終結に努力した。海軍大将。昭和23年4月20日死去。69歳。岩手県出身。海軍大学校卒。 【格言など】勝利の目算は皆無である(ポツダム宣言に対する閣議での発言) |
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