日本名人 | 千利休 |
释义 |
千利休听听怎么读
せんの りきゅう
是什么意思 中文简介千利休,1522年生于日本堺市,死于1591年4月21日,是日本茶道的"鼻祖"和集大成者,其"和、敬、清、寂"的茶道思想对日本茶道发展的影响极其深远。时人把他与今井宗久、津田宗及合称为"天下三宗匠"。
日文简介大永(たいえい)2年生まれ。堺(さかい)の商人。茶を武野紹鴎(たけの-じょうおう)にまなび,織田信長,豊臣秀吉の茶頭(さどう)となる。「天下一の茶湯者」として秀吉の側近政治にふかくかかわり,侘(わび)茶を大成した。天正(てんしょう)19年2月28日,秀吉の命で切腹。70歳。墓所は京都の大徳寺聚光(じゅこう)院。本姓は田中。幼名は与四郎。法名は宗易(そうえき)。別号に抛筌斎(ほうせんさい)。 【格言など】家は洩らぬ程,食事は飢えぬ程にて,足る事なり(「南方録」) |
随便看 |
|
日本名人录收录5984个日本名人词条,基本涵盖了全部常用日本名人的释义,是日语学习及工作的有利工具。