日本名人 | 藤原兼輔 |
释义 |
藤原兼輔听听怎么读
フジワラノカネスケ
是什么意思 中文简介藤原兼辅,元庆元年(877)-承平三年二月十八日(933年3月21日),平安时代中期的公家歌人。父亲藤原利基,母亲伴氏(名字不详)。儿子是藤原清正,曾孙女是紫氏部。官位至从三位中纳言兼右卫门督,因其府邸在贺茂川的堤边,所以也称堤中纳言。精于和歌与管弦,是三十六歌仙之一。
日文简介元慶(がんぎょう)元年生まれ。藤原利基(としもと)の6男。従三位,中納言。堤中納言と称される。三十六歌仙のひとり。醍醐(だいご)天皇に近侍し,岳父藤原定方とともに紀貫之(つらゆき)ら歌人の庇護者となった。歌は「古今和歌集」以下の勅撰集に56首はいっている。承平(じょうへい)3年2月18日死去。57歳。家集に「兼輔集」。 【格言など】みかの原分きて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ(「小倉百人一首」) |
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