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日本名人 藤原道長
释义

藤原道長

听听怎么读
ふじわらのみちなが
是什么意思

中文简介

藤原道长(966年-1027年)日本平安时代的公卿、权臣,关白藤原兼家第五子。太政大臣藤原道隆之弟。995年成为藤氏长者,最为有名的事迹是一家立三后,三名女儿-藤原彰子、藤原妍子与藤原威子皆为皇后。因为三个女儿都嫁给了天皇,藤原道长掌握了极大的权势,其在权势达到顶峰的时期,曾写下一首和歌"此世即吾世,如月满无缺"来描述自己的心境。而藤原家族自藤原道长开始,将女儿送与皇室联姻成为惯例。藤原道长官至正一位太政大臣。

日文简介

966-1028* 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
康保(こうほう)3年生まれ。藤原兼家の5男。母は藤原中正の娘時姫。兄道隆?道兼の死去で,長徳元年(995)内覧,右大臣,2年左大臣。後一条天皇の摂政となり,寛仁(かんにん)元年(1017)従一位,太政大臣。娘の彰子,妍子(けんし),威子(いし)の立后により摂関の全盛期をきずいた。詩は「本朝麗藻」に,歌は勅撰集に43首がはいる。万寿4年12月4日死去。62歳。通称は御堂(みどう)関白,法成寺関白。日記に「御堂関白記」。
【格言など】此の世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたる事も無しと思へば(威子が中宮になったときの歌)
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