日本名人 | 井上金峨 |
释义 |
井上金峨听听怎么读
いのうえ きんが
是什么意思 中文简介(1732~1784)折中学派儒学者。 其出生于常陆笠间藩医之家,后辞去医官定居江户,成为民间儒者。 其刻苦研习堀川、徂徕两学派,而以独到的见解为折中学派的发展做出贡献。 日文简介享保(きょうほう)17年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)笠間(かさま)藩医の子。川口熊峰(ゆうほう)に仁斎学を,井上蘭台に徂徠(そらい)学をまなび,折衷学をとなえる。のち江戸駒込にすみ,時間をきめ講義料をとる売講をはじめたことで知られる。門人に山本北山,亀田鵬斎(ほうさい)ら。天明4年6月16日死去。53歳。名は立元。字(あざな)は純卿。通称は文平。別号に考槃(こうはん)翁。著作に「経義折衷」「弁徴録」など。 |
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