日本名人 | 今川了俊 |
释义 |
今川了俊听听怎么读
いまがわ りょうしゅん
是什么意思 中文简介今川贞世,镰仓幕府后期至南北朝室町幕府前期武将。官至左京亮、伊予守。被幕府相继任命为远江、骏河守护,九州探题等职。赴任九州探题时又身兼备后、安芸、筑前、筑后、丰前、肥前、肥后、日向、大隅、萨摩等地守护,权倾朝野。平定九州叛乱,并稳固治安,内外交好。后在政治斗争中下台,其后潜心文学,爱好和歌。著作《难太平记》等,法名了俊(りょうしゅん)。后人多称其今川了俊。
日文简介嘉暦(かりゃく)元年生まれ。今川範国の子。室町幕府の引付頭人(ひきつけとうにん)をつとめ,将軍足利義詮(よしあきら)の死とともに出家。応安3=建徳元年九州探題に任じられ同地の支配に成功。応永2年職をとかれ,駿河(するが)(静岡県)半国守護となった。和歌を冷泉(れいぜい)為秀にまなび,歌人としても知られた。応永19-25年ごろ死去。名は貞世(さだよ)。著作に「難太平記」「今川状」「二言抄」など。 【格言など】衆人の愛敬無くしては,諸道の成就難し(家訓) |
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