日本名人 | 大内輝弘 |
释义 |
大内輝弘听听怎么读
おおうちてるひろ
是什么意思 中文简介大内辉弘(1520?~1569),小名冰上太郎、四郎左卫门,号定葱。有子武弘。他的父亲,周防、长门、丰前、筑前四国守护大内政弘的次子高弘(隆弘),与兄大内义隆争位,败北而死。辉弘窜逃丰后大友家寄食。此后,大内义隆死于陶晴贤之手,身死族灭。
日文简介大内政弘の孫。大内高弘の子。豊後(ぶんご)(大分県)の大友宗麟(そうりん)の庇護をうける。大内家の再興をはかって永禄(えいろく)12年大友氏の数千の軍とともに周防(すおう)(山口県)に侵入したが,毛利軍に敗れ,10月25日佐波郡茶臼山で自刃(じじん)した。通称は太郎左衛門尉。 |
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