日本名人 | 太田道灌 |
释义 |
太田道灌听听怎么读
おおたどうかん
是什么意思 中文简介〈1432-1486〉太田道灌,幼名鹤千代,永享四年〈1432年〉生于相模国境内,父亲为扇谷上杉氏家臣太田备中守资清,母亲则为长尾景仲的女儿。九岁时到鎌仓建长寺习文,十一岁时已精通诗书。十五岁元服,拜领上杉持朝的名讳,改名源六郎持资。 日文简介永享4年生まれ。太田資清の子。康正(こうしょう)元年家督をつぎ,上杉定正の家宰となる。3年江戸城を完成させ,居城とする。文明8年におきた長尾景春の乱を12年に鎮定。軍法師範と称され,また歌人としても知られ,万里集九(ばんり-しゅうきゅう)らとまじわった。文明18年7月26日定正に暗殺された。55歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。幼名は鶴千代。名は資長。通称は源六郎。 【格言など】かかる時さこそ命の惜しからめかねてなき身と思ひしらずば(「常山紀談」) |
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