日本名人 | 蜂須賀家政 |
释义 |
蜂須賀家政听听怎么读
はちすかいえまさ
是什么意思 中文简介蜂须贺家政(1558-1639年2月2日),织田、丰臣、德川家臣,蜂须贺小六正胜之子,从五位下阿波守。 1558年生于尾张国丹羽郡那古野城,成年后出仕于织田信长,后被信长派遣至羽柴秀吉麾下效力。1582年参加山崎会战,1583年参加贱岳会战,得到播磨国佐用郡3000石的领地。
日文简介永禄(えいろく)元年生まれ。蜂須賀正勝の長男。天正(てんしょう)13年(1585)豊臣秀吉の四国攻めで軍功をたて阿波(あわ)徳島17万6000石を領した。関ケ原の戦いでは西軍に属したが出陣せず,長男至鎮(よししげ)を東軍につかせ,本領をたもった。徳島藩藩祖。寛永15年12月30日死去。81歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。幼名は小六。号は蓬庵(ほうあん)。 |
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