日本名人 | 小笠原長時 |
释义 |
小笠原長時听听怎么读
おがさわらながとき
是什么意思 中文简介小笠原长时(1514年11月9日-1583年4月17日、永正11年10月23日 - 天正11年2月25日)日本信浓国的战国大名。信浓林城城主。与村上义清、木曾义康、诹访赖重并称信浓四大将。小笠原长栋长男,官位从五位上信浓守、大膳大夫。育有儿子小笠原长隆、小笠原贞次及小笠原贞庆。
日文简介永正(えいしょう)11年11月23日生まれ。小笠原長棟(ながむね)の長男。信濃(しなの)(長野県)安曇?筑摩両郡を領する。天文19年武田信玄軍に攻められ,城をうしなう。のち越後の上杉謙信をたよる。謙信の死後は陸奥(むつ)会津(あいづ)(福島県)の蘆名盛氏(もりうじ)の庇護をうけたが,天正(てんしょう)11年2月25日同地で家臣に殺害されたという。70歳。通称は又三郎。著作に「小笠原家礼書」など。 |
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