日本名人 | 狩野芳崖 |
释义 |
狩野芳崖听听怎么读
かのう ほうがい
是什么意思 中文简介日本画家。长门国(山口县)长府藩画家狩野晴皋之子。幼名幸太郎。自幼天资聪颖,最初从其父学画。十九岁出江户,入木挽町狩野家晴川院雅信之门,称为胜海雅道。与狩野胜玉、桥木雅邦、木村立岳并称为四天王。文久(1861~1864)初年归乡里,改号芳崖。他是站在日本近代美术史最前列的巨人,是明治美术的中流砥柱,他的艺术是由吴道子始创的东方艺术世界中最后的晚霞。的确,狩野芳崖处于旧日本画向新日本画的变革过渡时期。他既是最腐朽的"国粹"堡垒--狩野派中冲杀出来的斗士,又强烈追求日本画的现代化。
日文简介文政11年1月13日生まれ。弘化(こうか)3年江戸にでて狩野養信(おさのぶ),狩野雅信(ただのぶ)に師事。明治17年フェノロサの主宰する鑑画会に参加。以後,フェノロサや岡倉天心と協力して日本画の近代化運動に力をそそいだ。東京美術学校(現東京芸大)の設立にも尽力。明治21年11月5日死去。61歳。長門(ながと)(山口県)出身。名は延信。字(あざな)は貫甫。別号に皐隣,松隣。作品に「悲母観音」「不動明王」など。 |
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