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日本名人 小早川秀包
释义

小早川秀包

听听怎么读
こばやかわ ひでかね
是什么意思

中文简介

小早川秀包(1567年~1601年),幼名才菊丸,通称藤四郎、市正、内记,原名元总,官任筑后守、侍从,法号瑞光院殿玄济道叱;毛利元就之九男,母亲是乃美弹正忠隆兴之女乃美大方,正室是大友宗麟之女(秀吉之养女)。

日文简介

1567-1601 織豊時代の武将。
永禄(えいろく)10年生まれ。毛利元就(もとなり)の子。兄小早川隆景(たかかげ)の養子となる。天正(てんしょう)10年毛利輝元と羽柴(豊臣)秀吉の和睦(わぼく)により,人質として大坂におもむく。15年筑後(ちくご)(福岡県)久留米(くるめ)城主となり,のち久留米侍従とよばれる。関ケ原の戦いで西軍に属し,所領をうしなった。慶長6年3月23日死去。35歳。初名は元総(もとふさ)。通称は藤四郎,市正。
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