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日本名人 北条泰時
释义

北条泰時

听听怎么读
ほうじょうやすとき
是什么意思

中文简介

北条泰时(1183-1242),幼名金则,法名观阿,日本镰仓幕府第三代执权,北条义时长子。历任陆奥国远田郡地头职,骏河守、武藏守。1221年,统率幕府军进军京都,打败后鸟羽上皇,设立六波罗府,任首任六波罗探题,监督朝廷,负责处理畿内及西国的行政、诉讼事务。1224年,义时死后接任执权。1232年,制订武家法《御成败式目》,作为镰仓幕府的基本法典,从此确立了镰仓幕府以北条氏为核心的执政政治体制。

日文简介

1183-1242 鎌倉時代の武将。
寿永2年生まれ。北条義時の長男。承久(じょうきゅう)の乱では叔父北条時房とともに京都に攻めのぼる。乱後,初代六波羅(ろくはら)探題北方。元仁(げんにん)元年3代執権となり,連署や評定衆の新設による合議制や貞永(じょうえい)元年の「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」の制定で執権政治を確立。和歌をよくし,「新勅撰和歌集」などに歌がある。仁治(にんじ)3年6月15日死去。60歳。初名は頼時。通称は江間太郎。法名は観阿。
【格言など】公私如何を顧みるのみ。怨(うらみ)を畏れて決せずんば,何ぞ執権に取らんや(「日本外史」)
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