日本名人 | 細川持之 |
释义 |
細川持之听听怎么读
ほそかわ もちゆき
是什么意思 中文简介满元之子·通称九郎·中务少辅,右京大夫。1429年(永享元年),兄持元早逝后继任家督,任六代将军义教幕府管领·义教推行强化幕府,削弱守护大名的政策,持之遂与诸有力大名和议,向上谏言。然而,没有受到义教压制政策影响的有力大名,却只有细川一家。1441年(嘉吉元年)义教被杀,嘉吉之乱兴,持之也随同义教一同前往赤松宅邸,却幸免于难。随后,持之拥立义教之子义胜,讨伐赤松氏。
日文简介応永7年生まれ。細川満元(みつもと)の子。兄持元の早世により家督をつぐ。永享4年管領(かんれい)となり,幕政に参画したが,将軍足利義教(よしのり)の専制をおさえられなかった。嘉吉(かきつ)の乱で義教が赤松満祐(みつすけ)に殺されると,幼少の足利義勝を将軍とし,満祐を討った。嘉吉2年8月4日死去。43歳。通称は九郎。 |
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