日本名人 | 万里小路季房 |
释义 |
万里小路季房听听怎么读
までのこうじ すえふさ
是什么意思 中文简介万里小路季房 - 人物生平 历任伊势守、备前守,元德二年(1330)四月任参议兼右大辩、中宫亮。元弘之乱时(1331)在野宫扈从中宫禧子,接到笠置陷落的败报後出家,但依旧被捕。正庆元·元弘二年(1332)五月,被幕府流放至下野国(《太平记》谓常陆)。翌年五月二十日,在配所被斩(《太平记》谓病死)。 日文简介万里小路宣房(のぶひさ)の次男。元徳2年参議となり右大弁,中宮亮(ちゅうぐうのすけ)をかねた。翌年後醍醐(ごだいご)天皇の討幕の企てがもれ,天皇が笠置(かさぎ)山にのがれた際,中宮藤原禧子(きし)(礼成門院)を嵯峨(さが)の野宮(ののみや)に避難させた。のち捕らえられて下野(しもつけ)に流され,正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年5月20日配所で死去。 |
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