日本名人 | 南村梅軒 |
释义 |
南村梅軒听听怎么读
みなみむらばいけん
是什么意思 中文简介南村梅轩(?-),。周防国(现山口县)出身。据说是大内氏遗臣,大内灭亡后他到土佐国(现高知县)传播其学问,宣讲儒家道德,并主张儒禅一致,奠定了南学发展的基础,因此被后来土佐南学派奉为鼻祖。著名弟子有谷时中。
日文简介もと大内義隆の臣といわれる。「吉良物語」によれば,天文(てんぶん)17-18年(1548-49)ごろ土佐(高知県)弘岡の吉良峰(きらがみね)城主吉良宣経(きら-のぶつね)にまねかれ,朱子学にもとづく実践道徳や兵学を講義し,宣経の死により土佐をはなれたという。南学の祖とされる。別号に離明翁。 |
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