日本名人 | 結城朝光 |
释义 |
結城朝光听听怎么读
ゆうきともみつ
是什么意思 中文简介镰仓时代前期的武将。小山政光之子,响应源赖朝起兵举义。讨灭志田义广以后受封下总国(茨城县)结城城。赖朝死后,因为"忠臣不事二主"的不当言语被梶原景时谗言构陷,联结三浦氏等御家人上书弹劾景时成功。承久之乱后担当东山道大将军,评定众之一。
日文简介仁安(にんあん)2年生まれ。小山政光(おやま-まさみつ)の3男。母は源頼朝の乳母(めのと)寒河尼(さむかわのあま)。頼朝の臣。寿永2年志田(源)義広の乱における恩賞として下総(しもうさ)結城(茨城県)をあたえられ,結城氏を名のる。文治(ぶんじ)5年奥州藤原氏攻めの功により陸奥(むつ)白河荘を得,承久(じょうきゅう)の乱でも功をたて,文暦(ぶんりゃく)2年評定衆(ひょうじょうしゅう)となった。建長6年2月24日死去。88歳。初名は宗朝。通称は七郎。 |
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