日本名人 | 丹羽長秀 |
释义 |
丹羽長秀听听怎么读
にわ ながひで
是什么意思 中文简介丹羽长秀(1535年10月16日-1585年5月15日),日本战国时代、安土桃山时代武将,织田信长帐下名将。"织田四天王"之一,别称鬼五郎左、米五郎左。幼名万千代。十五岁即出仕信长,逐渐成为与柴田胜家并列的股肱之臣。1563年与信长养女结婚。1571年姊川会战后初封为近江佐和山城主,1575年赐姓惟住。本能寺之变时,他正在摄津末吉作平定四国的准备,闻报火速东进,与羽柴秀吉合兵,于山崎击败明智光秀。清洲会议附和秀吉,受封若狭一国与近江高岛、滋贺二郡。胜家失败后,改封越前与加贺的能关、江沼二郡,主城移至北之庄。不久病死。
日文简介天文(てんぶん)4年生まれ。織田信長につかえ,近江(おうみ)(滋賀県)佐和山城主となる。信長の死後,羽柴(豊臣)秀吉とともに明智光秀をやぶり,清洲(きよす)会議では秀吉を支持。賤ケ岳(しずがたけ)の戦いでも秀吉にしたがい,越前(えちぜん),若狭(わかさ)と加賀半国を領有した。天正(てんしょう)13年4月16日死去。51歳。通称は五郎左衛門。 【格言など】御用にもたち候はで,口惜しく候へども,それも,はや,是非に及ばず候(遺書) |
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