日本名人 | 日野富子 |
释义 |
日野富子听听怎么读
ひのとみこ
是什么意思 中文简介室町幕府八代将军足利义政的正室。父亲是日野政光,母亲是北小路禅尼(日野苗子)。由于日野家代代与足利家保持联姻的关系,富子在十六岁时嫁给当时二十岁的将军义政做正室。在1459年时生下第一个孩子,但小孩一出生就夭折了,当时有传说这件事是义政的乳母今参局在暗中诅咒,于是今参局因此被判流放到琵琶湖的冲之岛,而她在流放的路上就自杀了。
日文简介永享12年生まれ。日野政光(重政)の娘。日野勝光の妹。子の足利義尚(よしひさ)を将軍の跡継ぎにしようとして山名持豊(宗全)とむすび,義政の弟義視(よしみ)をおす細川勝元とあらそい,応仁の乱をひきおこす。義尚が9代将軍となると,幕政に関与。高利貸し,関所新設による関銭の徴収などで蓄財をはかった。明応5年5月20日死去。57歳。法号は妙善院。 【格言など】世を祈る心を神のうけぬともこの言の葉にさらにこそ知れ(「亜槐(あかい)集」) |
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