日本名人 | 正親町天皇 |
释义 |
正親町天皇听听怎么读
おおぎまちてんのう
是什么意思 中文简介正亲町天皇(おおぎまちてんのう,1517年6月18日-1593年2月6日),后奈良天皇第二皇子,母亲是万里小路贤房之女万里小路荣子,名方仁,于1533年封为亲王。1557年,因为后奈良天皇过世而即位,但是因为皇室实在穷途潦倒,极端匮乏,一直到毛利元就等人捐出献金,天皇才在1560年勉强举行即位仪式。
日文简介永正(えいしょう)14年5月29日生まれ。後奈良天皇の第2皇子。母は藤原栄子(吉徳門院)。弘治(こうじ)3年父の死で践祚(せんそ)したが,即位式は毛利元就(もとなり)らの献金により3年後におこなった。織田信長,豊臣秀吉らの援助で,宿願だった皇居の修理,伊勢神宮の造営や遷宮,朝儀の復興などにつくした。秀吉を関白に任じた翌年譲位。文禄(ぶんろく)2年1月5日死去。77歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は方仁(みちひと)。著作に「年中御作法留」,歌集に「正親町院御百首」。 【格言など】憂世(うきよ)とて誰れをかこたむ我れさへや心の儘にあらぬ身なれば(「正親町院御百首」) |
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