日本名人 | 北条時政 |
释义 |
北条時政听听怎么读
ほうじょうときまさ
是什么意思 中文简介镰仓幕府初代执权。时方之子,伊豆国(静冈县)土豪,通称北条四郎。将女儿北条政子许配给了流放伊豆的源赖朝。赖朝举兵的时候予以协助,一同尽力开设了镰仓幕府。作为赖朝的代官率军进京追击源义经,获得朝廷守护、地头设置的敕许,就任初代京都守护。赖朝死后建立重臣合议制,废弃并谋杀了将军赖家,拥立源实朝就任将军,时政则成为初代的执权,握有幕府的实权。之后与妻子牧の方共谋拥立平贺朝雅为将军失败,被迫隐居。
日文简介保延(ほうえん)4年生まれ。北条政子の父。鎌倉幕府初代執権。政子と結婚した源頼朝の挙兵をたすけて幕府創設に寄与。文治(ぶんじ)元年京都で守護?地頭設置の勅許をえる。頼朝の死後,2代将軍源頼家を廃して源実朝(さねとも)を擁立し実権をにぎる。さらに後妻牧の方の娘婿平賀朝雅を将軍にしようとして失敗,伊豆(いず)に退隠した。建保(けんぽ)3年1月6日死去。78歳。通称は四郎。法名は明盛。 【格言など】弓矢取(とる)身は言(こと)ば一(ひとつ)も輙(たやす)からず,生(いき)ても死(しし)ても名こそ惜けれ(「源平盛衰記」) |
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