日本名人 | 堀尾吉晴 |
释义 |
堀尾吉晴听听怎么读
ほりおよしはる
是什么意思 中文简介堀尾吉晴(ほりおよしはる)出生于天文13年(1544年),卒于庆长16年(1611年),生于尾张国丹羽郡,幼名仁王丸,通称茂助,为岩仓织田家部将堀尾泰晴之子,后来投效丰臣秀吉,晋封为大名之列,是丰臣三中老之一,也是出云国松江藩的初代藩主。 日文简介天文(てんぶん)12年生まれ。豊臣秀吉の家臣。小田原攻めに功をたて,遠江(とおとうみ)(静岡県)浜松城12万石の城主となる。慶長4年隠居。9年出雲(いずも)松江藩主堀尾家初代である子の忠氏が死去したため,2代をついだ6歳の孫忠晴を補佐し,松江城を築城した。慶長16年6月17日死去。69歳。幼名は仁王丸。通称は小太郎,茂助。名は可晴ともかく。 |
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