日本名人 | 中井竹山 |
释义 |
中井竹山听听怎么读
なかい ちくざん
是什么意思 中文简介(1730~1804)大阪人,中井甃庵长子,儒学者。曾随五井兰州学习宋学。其父亡故后接掌怀德堂,推崇封建道德观,但为促进商业、社交活动,其允许学生学习算术、医术、围棋、象棋等,将该学堂推向兴盛。宽政异学之禁时,他采取与官府一致的立场,曾于1788(天明8)年向松平定信提交《草茅危言》,阐述其政治观点。另著有《逸史》、《社仓私议》、《非征》。
日文简介享保(きょうほう)15年5月15日生まれ。中井甃庵(しゅうあん)の長男。中井履軒の兄。五井蘭洲(らんしゅう)に師事して朱子学をまなぶ。天明2年大坂の学問所懐徳堂の4代学主となる。徂徠(そらい)学批判の「非徴」をあらわした。享和4年2月5日死去。75歳。大坂出身。名は積善。字(あざな)は子慶。通称は善太。別号に同関子,渫翁,雪翁。著作に「草茅(そうぼう)危言」「逸史」など。 |
随便看 |
|
日本名人录收录5984个日本名人词条,基本涵盖了全部常用日本名人的释义,是日语学习及工作的有利工具。