日本名人 | 尼子勝久 |
释义 |
尼子勝久听听怎么读
あまこかつひさ
是什么意思 中文简介尼子胜久(1553~1578)幼名孙四郎,出云尼子氏"新宫党"一族尼子诚久之子。虽曾经出家为僧,但在山中鹿介等人拥立下还俗,图谋再兴尼子家。赴京都投靠织田信长,在羽柴秀吉之下图谋收复出云未果。后在播磨上月城被毛利军包围,自杀。据说,尼子胜久是个文武双全,拥有仁爱之心的武将,作为家督也深得家臣们的爱戴。
日文简介天文(てんぶん)22年生まれ。尼子国久の孫。尼子氏再興をはかり,永禄(えいろく)12年大友宗麟(そうりん)の援助をえて挙兵。出雲(いずも)(島根県)の大半を回復するが,翌年毛利氏に敗れ,織田信長をたよる。のち羽柴(豊臣)秀吉に属し播磨(はりま)(兵庫県)上月(こうづき)城をまもるが,天正(てんしょう)6年7月3日毛利軍に包囲され自刃(じじん)。26歳。通称は孫四郎。 |
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